3年後に独立すると決めた人のブログ

50代目前の女性が前向きに生きている日々を綴っています

それでも万事塞翁が馬

良いことがあったので、記録しておく。

 

先日暇つぶしにYoutube見ていたら、こんな動画が。

恋愛運は出会い運。

人とのつながり運を良くしたいのであれば、パワースポット巡りや幸運グッズを買う前にやることがある。

今ある人間関係の整理整頓。

LINEやメールや電話など、不必要な連絡先を処分して、新しいご縁が入るスペースを確保するべし

というような内容だった。

 

確かにそうだなぁ、と思ってLINEをポチポチしていたら、もう、何年も連絡を取っていない実の兄らしきアカウントを見つけた。

でもまあ、よくある苗字だし、別の親戚か他人かもしれないと思いながら、投稿を見てみることにした。

 

兄は亡き父とともに、10代から職人として働いていた。

父は職人を束ね会社を興していたので、一時は羽振りもよかった。

ギャンブラーで大食いで、下戸の甘いもの好きで糖尿病。

母とは見合い結婚。

若い頃は家に借金取りが来たりしてえらい目にあった、と言っていた。

母は、父とは逆に大酒飲みで、バブル期は夜な夜な飲み歩き、家を留守にした。

私がまた小学生のころだ。

今思えば、兄妹3人一人もグレなかったのは、もはや、奇跡じゃないかと思うような家庭環境だった。

 

バブルの崩壊後、会社は倒産し両親は離婚。

父は脳梗塞で倒れ障害があり、施設で暮らしていたが、それでもなお、ギャンブル場へ通うような人だった。

そんな父が、私はとても苦手だった。

 

私が社会人になるころには、軽く一家離散状態だった。

父は結局、糖尿病の合併症であっけなく亡くなった。

好き勝手に生き切った人なのだと思う。

父が亡くなった時と、母の再婚相手がなくなったときぐらいかな、家族が集まれたのは。

 

母と姉とは頻繁に連絡を取っているが、兄とはずっと疎遠のままだった。

兄は父の会社の借金やら何やらで、結構大変な思いをして生きてきたようだ。

母は都合の悪いことは私には教えない主義なため、兄がどんな思いをしていたかはよく知らない。

知らされたところで、当時の自分にできることなどなかったに等しいだろうが。

兄妹同士もあまり仲が良くないため、情報の共有もまるでない。

 

母とは今も絶縁状態らしい。

姉も兄とは連絡は取っていないようだった。

 

そして、運命の今日、兄のアカウントらしきものを発見したのだ。

 

最近の投稿で、いわゆるコンセプトバーを経営していることがわかった。

はじめはお客さんとしての投稿かと思ったのだが、さかのぼってみると、バーのOPENまでの軌跡が記録されていた。

しかし、ここまでではまだ、兄のことだとは思えなかった。

さらにさかのぼっていくと、なんと、宝くじに高額当選していた。

頻繁に旅行をしている投稿も見られた。

さらにさかのぼると、職人だったころの投稿も発見。

間違いない、ほぼ、兄だと確信。

最後に会った時は相撲取りのような体格だった兄だが、今は運動をしたり、体を気遣っている様子。

入院して手術したりもしたようだった。

 

ゲームと車とギャンブルが好きで、独身の50代。

父の生き写しのようだった兄。

子どものころから気が合わなかったし、好きではなかった。

よく、いじめられもしたし。

病気で倒れて、身寄りがなく、孤独死したりしたら…なんて、失礼ながらも正直、時々頭をよぎることがあった。

 

そんな兄が、なんだか幸せそうに生きているではないか。

涙がでそうになった。

 

何かの縁があって、同じ親の元に生まれてきた3人のうちの一人が、多分楽しく生きているであろうことを知ることが出来たのだ。

 

私が好きではなかったように、兄も私のことなど気にもかけていないこととと願う。

そして、親によって奪われていたかもしれない自分の人生を取り戻すように、精一杯面白おかしく生きてほしい。

 

それから、母には悟られるなよ、と思う。

母は、自分の人生のツケを自分で払わされているような生き方をしているので、きっと兄のことを知ったら、良からぬことを考えるに違いない。

親子でも根っこのところでは信じることが出来ないというのは、なんとも因果で悲しいことだ。

 

なにか良くわからない肩の荷がひとつ下りたような安堵感。

私は神や仏に守られていると感じる時がある。

今回のこの発見も、自分の人生の切り替わるタイミングぴったりにやってきた。

神様ってやっぱりいるのだ。

 

どうか、人の道に反することだけはしないように、それだけを血のつながった妹として祈っておこうと思う。

 

そして、これはすべて私の妄想、そう思って明日からまた生きていくことにする。